シーツに、鈍い赤色が滲んでて、それで、ああ、わたしは、終った、と、思った。






夏は喪失のニオイがする






亜久津とわたしは、小さい頃からの知り合いで、別に、学校の帰りにおテテをつないで帰る程の仲良しではなかったけれど、 夏休みの自由研究を一緒にやる程の仲良しではなかったけれど。

互いの親が不在で、ひとりで、何にもすることがなくなって、テレビの音だけが響くウチに我慢ができなくなって、 ふと、その足が、つま先をトントンとして、靴を履いてタッと駆け出して、向かってしまう―

そんな仲だった。



亜久津は、小さい頃から色んな習い事をさせられていて、わたしは(大抵わたしが亜久津のウチに押しかけていたんだけど)、 たまに、チャイムを押してもウンともスンとも言わない亜久津家のドアをニラみつけるハメにおちいったりしてた。

でも、亜久津は、あんまり根気強い質ではなかったので、お稽古事は、3週目を迎えることはなく、 わたしは、時々、肩透かしを食らおうとも亜久津のウチを訪ねることをやめなかった。






ソコに、何が、あったというのか。



ただ、ダルそうに、寝転がる亜久津 仁の姿があっただけなのに。






「亜久津、オヤツ、食べよ」

わたしは、台所にあったバナナを2房、持ってきてた。

「いらねぇ、バナナ、嫌れぇ」

「…」

亜久津にキライだと言われるのは、仲良しの女の子に言われるよりも堪えた。

亜久津家のダイニングのテーブルの上には果物がたくさんのっていて、その中にはバナナもあった。

「嘘つき」

亜久津のお母さんの優紀ちゃんが、にっこりと笑って亜久津に、”ハイ、バナナ”って渡す図が目に浮かんだ。

「朝、いっつも食わされるから、嫌ぇなんだよ」

「わたしが持ってきたのは、食べてくんないんだ…」

「ああ、いらねぇ」

亜久津は、正直だ。

優紀ちゃんから出されたものは絶対に受け取るけれど、わたしからは拒絶する。

「亜久津仁のバカ」

とても手触りのいい亜久津家のソファに顔を押し付けながら、わたしは言った。

手作りらしいクッションに、ほのかに香水のいい匂いが漂っている。

それをぎゅっと抱き締めた。

亜久津は、テレビをつけて、ビデオを見始める。

白黒で、わたしには、訳の分からない映画。

綺麗な外国人の顔が、印象的だった。

「亜久津は…こんなの見るんだ」

「知らねぇ」

知らねぇって、見てるじゃん。

「優紀が、いつも見てるから」



「ああ…」



嫉妬。



亜久津は手元に置いたスナック菓子とコーラのボトルに、たまに手を出しながら、それでもテレビ画面を見続けていた。

わたしも、亜久津の視線の先を追うように、白黒の映像を眺めていた。

「亜久津、お水もらうね」

喉がカラカラになって、でも、画面に見入る亜久津に悪い気がして、小声で断った。

「ん」

画面を見たまま、亜久津は、わたしにコーラのボトルを差し出す。

ボトルの中に半分だけ残った黒っぽい液体が、その拍子に、ちゃぷんと揺れた。

「お菓子も、もらうね」

床にいた亜久津の隣に一緒に転がった。

「ん」

床に腹ばいになって、頬杖をついて、ふたり、同じ格好で、映画を見てた。

セリフの語られるテレビ画面の他は、とても静かで、ただ、窓から覗く夏の空だけが、青かった。









それから、何年か経った。

今でも、亜久津はダルそうに、床に転がっている。

いつの間にか、タバコを吸うようになった。

随分、背が伸びた。

髪の毛の色が変わった。

でも、亜久津は亜久津だった。

「亜久津、制服、シワになるよ」

わたしは亜久津と違う中学に通っていたから、亜久津が学校でどんなだか知らないけれど、 亜久津は、わたしが亜久津のウチを訪ねると、結構な確率で、ソコにいた。

「亜久津、ガッコは?」

「お前は、どうなんだよ」

わたしには、分かってた。

空が、こんなふうに青い日は、亜久津は、きっと、ここにいる。






「亜久津…ケムいよ」

「我慢しろ」

ソファには座らずに、ぺったり床に座り込んだわたしたちは、並んでテレビ画面を見つめている。

お菓子の袋と、ペットボトルのコーラと、灰皿。

白黒の画面からふと、視線を外した。

ダイニングテーブルに、果物。

何も変わらない。

「ねぇ、亜久津…まだ、朝、バナナ食べてるの?」

「ハァ?」

「優紀ちゃんが、食べろって言うんでしょ」

「朝は、何も食べる気しねぇ」

「ふーん」

わたしは、膝を抱えたまま、テーブルの上のバナナをじーっと見ていた。

ふぁっとタバコの煙が揺れて、亜久津が立ち上がった。



「ほら、食いてぇなら、食えよ」

目の前にバナナがぶら下がってる。

そういう訳でもないんだけど、せっかく亜久津が持って来てくれたんだから素直に受け取った。

亜久津が、再び、床に腰を下ろす。

ストーリーを、もう知っている映画を、わたしたちは、何度も見る。

バナナの皮をむいて、半分に折って、亜久津の目の前に差し出した。



―いらねぇ

そう言うと思ってた。



黙って半分のバナナを受け取った亜久津は、もぐもぐと食べている。

わたしは、やっと、あの時の、小さい亜久津に受け入れてもらえたような気がして嬉しかった。






映画のエンドロールが流れ始めて、ゆっくりとその余韻に浸りながら、亜久津の吐き出すタバコの匂いを吸っていた。

亜久津がぼそっと言った。

「俺、これからガッコ行くわ」

「?」

授業も終る時間じゃないだろうか?

「お前、出るとき、鍵かけろよ」

「あ、わたしも出るよ」

お菓子の袋を慌てて片付け、カバンを持った。

亜久津は、随分大きなバッグを肩から下げて玄関へと向かう。

玄関を出て、がちゃりと鍵をかけると、亜久津はわたしに言った。

「じゃあな」

どことなく楽し気な様子に、わたしも言葉を返していた。

「オウ、頑張って来いや」

亜久津はハハッと笑って片手を上げて、去っていった。















今日も、空が青いから、きっと亜久津は、いると思ったんだけど。

チャイムを押しても、返事はなかった。

返事というか、亜久津はすぐにドアを開けてくれる。

今日はいない…か。

どうしようもなくなった時間を、ひとりで潰すことになってしまった。

仕方がないから、自分のウチへ帰る。

マンションの8階。

エレベーターに乗って、その密室に残るタバコの匂いに亜久津を思い出す。

エレベーターを降りて、カバンからごそごそと鍵を探しながら歩いた。

そして、ウチのドアの前。

鍵を差し込もうとして、気がついた。

タバコの吸殻が、落ちてる。



亜久津 仁だ。



わたしは、この階にとどまっていたエレベーターの↓ボタンを連打した。









亜久津のウチのドア前に立つ。

さっきはどうして、居留守を使ったんだろう。

ピンポン♪ と、部屋の中に響く音が、漏れ聞こえてくる。

「亜久津、いるんでしょ」

チャイムを何度も押した。

「亜久津、開けてよ」

中にいるのに開けてくれないなんて。

「開けろ、亜久津 仁」

ドアを叩く。

…開いた。






「んだよ、

亜久津の顔は、なんともいえない表情をしていて…それは、サミシイ、カオ?

わたしは、どうしてすぐ開けてくれなかったの、と言うつもりでいたのに、その亜久津の顔を見た途端 何も言うべきことが見つからなくなってしまって、ゆっくりと亜久津に近づいて、指を伸ばしてその頬に触れた。






亜久津は、黙って、わたしに抱きついた。






玄関先で、靴もぬいでないわたしと亜久津は、絡み合ってキスをした。

初めてのキスだった。

くちびるを合わせて、お互いの舌を差し込んで、ただがむしゃらに、貪りあう。

口の端から、唾液が垂れた。

わたしは、頭の隅で”靴をぬがなきゃ”と思っていて、足をばたばたさせて靴を跳ね飛ばして、 そしたら亜久津はわたしをほとんど抱きかかえるように引きずるように自分の部屋へと導き入れて、そのままベッドへとなだれ込んだ。

お互いに、一言も言葉を交わさずに、服を取り合った。

亜久津は、わたしのシャツのボタンを外すことさえもどかしいらしく、ボタンを引き千切らんばかりの勢いで外していった。

わたしは、亜久津の学ランのホックを震える手で外した。

恐いとか恥ずかしいとか、そういう気持ちはなかった。

強いて言えば、あまりにも亜久津が欲しくて、震えていたのだ。

初めてなのに。



なだめるような、緊張をほぐすような愛撫などなかった。

亜久津は噛み付くみたいに、わたしの肌に口をつけてゆく。

それは痛みさえ感じるほどで、わたしは声を上げそうになるのを必死に堪えてた。

ただ、それは、亜久津らしいといえば、らしかったので、わたしは妙に安心感を覚える。

亜久津がわたしの胸の頂点に歯を立てた。

「…ッたい!!」

でも、亜久津はやめなかった。

もしかしたら、喰いちぎられるんじゃないかって、思った。

その、逆立った髪の毛を抱く。

ゆっくりと亜久津の顔が下がっていって、わたしの呼吸に揺れるおナカを抱いて、舌でなぞる。

羞恥心が、やっとわたしを襲う。

「ヤダ、あくっつ…」

身を捩って、その手から逃れようとした。

亜久津の頭を退けようとしたわたしの腕が掴まれる。

亜久津がわたしの身体を抱きすくめて、耳にくちびるを寄せてきた。

そんなことをされると、逃げることなんてできない。



亜久津は、あの時のまま、小さいままで、わたしも、あの時から何も変わらず、 まるでワケモワカラズお互いの身体を触っているみたいで、これは、自然なことなんだと、そう思えてきた。



「逃げんな…よ」

低い声が、耳元で鳴った。

身体の奥から、何かが溢れてきた。

「ふ…」

足の力が抜ける。

身体の線をなぞるように、亜久津の手がわたしの身体を滑っていきソコへ行き着く。

少し探るようにしてから、まっすぐに指を入れてきた。

わたしは、亜久津の指を感じた。

今まで、何も感じたことがなかったソコで。

わたしの身体の中に、亜久津の指がある。

ぱっくりと口を開けた、傷口を、えぐられてるような、そんな感じがした。

内壁が、ひりひりと、悲鳴をあげてる。

わたしは、亜久津の、肩に、歯を立てて、その悲鳴を押し殺す。



それは、いつも、わたしの傍にいた男の声。

小さい頃から、一緒にいた男の声。






指が抜かれて、代わりに、こじ開けるように、亜久津の一部がわたしの中へ入ってきた。

「う…っぐ」

身体が強張る。

「これいじょっ…入んない」

「まだ、イリグチだって」

歯を食いしばって、亜久津の顔を見上げたら、同じような顔して亜久津が答えた。

「ココで、止めといて…よっ」

「バカ、ちからっ、抜け。息、止めんなっ」

苦しくなって大きく息を吐いたらその瞬間、亜久津がぐぐっと侵入してきた。

「いっ!!!」

わたしは、亜久津の肩に思いっきり爪を立てた。



亜久津が大きな吐息を漏らす。

わたしの上に、倒れこんできた。

わたしといえば、脚の間に、何か大きな異物感。

それが挟まったままで、とても気持ち悪かった。

「…仁」

「気持ち…よくねぇよな」

亜久津は、わたしの髪を弄りながらそう言った。

「ウン」

亜久津はくくっと笑って、それが、わたしのナカまで響いてきて、それから、亜久津が言う。

「ここでやめるか?」

「もう、終ってんじゃん」

亜久津は吹き出しながら、こう言った。

「お前にとっては、そうかもしんねぇな」



そんな亜久津の振動が、気持ち良かった。

つながっていて、伝わってくるものがなんだか愛おしいと、感じた。



「…亜久津……ちょっと動いて」

亜久津は、わたしの髪の毛を梳くのをやめて、わたしと密着させていたその身体を起こした。

ゆっくりと、律動を始める。

軋むような感じ。

「く…」

それでも、抑えた動きにわたしのナカが応え始めた。

引っかかりがなくなった。

「亜久津…」

亜久津の目が、わたしを捕らえる。

「仁…」

それが合図になったのか亜久津の動きが激しくなる。

「あっ…くつっ…じん…」

わたしは、ずっと、名前を呼び続けていた。

無我夢中で、その肩に縋りついて。



小さい頃から隣にいたのに。

わたしはずっと、あなたを追いかけていた。

いつか、後ろを振り向いて、手を差し延べてくれることを信じて。



わたしは、今、気がついた。



亜久津は、いつも、わたしを待っててくれた。

わたしが、亜久津の歩幅についていけなくて、どんなに遅れようと、足を止めて、振り向いて、待っててくれた。



そして、わたしは、気づいた。






それが、今日で、お終いだってこと。






小さな子供の、夢は、もう、オシマイ。

亜久津…あなたは、もう、わたしを待つことはなく、先に歩き出すんだね。









もう、わたしは、亜久津の名前を呼ばなかった。

互いの、荒い呼吸音だけが、空間に響いて、それが、とても、イヤラシイと思った。

わたしたちは、オトコとオンナなんだって、思った。















窓から覗く空は、やっぱり青くて、今はもう懐かしささえ覚える、つい最近までの時間を、感傷的になりながら思い出す。

となりには、安らかな顔で眠る亜久津。

わたしのからだには、赤い斑点が残っていて、身体の奥の疵がズキズキと疼いて、シーツに、鈍い赤色が滲んでて、 それでわたしは、やっぱり終ったんだ、と、思った。

脱ぎ捨てた服を拾って、ノロノロとそれを身に付ける。

別れを告げるのが、少しでも遅くなるように。



制服のリボンのボタンを留めて立ち上がる。

子供の頃の面影を、眠る亜久津に探した。

それは、簡単に見つかる。

だって、わたしの中には、いつだって ―いたから。









サヨナラ

青い空。

サヨナラ

夏の空。

サヨナラ

失われた

わたしの

遠い、空。









fin.



モドル






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