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01 甘美な世界




忘れ物をしたので取りに戻ると、そこにはイスに座って寝ているゼラがいた。
ゼラは頭を少し傾けて静かに眠っていた。
俺はゼラを起こさないように静かに忘れ物を捜した。
暫くすると見つかった。探していた家の鍵は、ライチが置かれたテーブルの下に落ちていた。
俺はそれを拾うとポケットにしまった。

ゼラはまだ寝ていた。少しゼラらしくないと思った。いつものゼラなら、俺が来たことに気付いてぱっと起きてしまいそうなのに。

俺はゼラが寝ているイスに近付いた。
ゼラはまだ目を覚まさなかった。

白い肌が薄暗いライトに照らされて、更に色を失っているように見えた。
閉じられた睫はその肌に映えるようにはっきりと色を示していた。
ゼラの切れ長の瞳は、閉じられると冷たさを失って美しさしか残っていなかった。
薄い唇ははっきりと赤色だった。まるで紅をひいたように。

ゼラをじっと見ている間も、まるで死んだようにゼラは動かなかった。吐息が聞こえないほど静かだった。
俺は少し生きている事を疑った。それくらい生を感じられなかった。しかしそれほどゼラは美しかった。

俺は胸がどきどきして、ふとすればゼラの顔に手を近付けていた。
そして俺の手はまっすぐに、ゼラの唇に向かっていた。

10センチ、7センチ、5センチ。距離はどんどん短くなる。

その時、ゼラの目がぱちっと開いた。


「あっ」


俺は慌てて手を引いた。
ゼラはその切れ長の美しい目で俺を見た。俺は金縛りにあったように動けなくなって、先程の鼓動と違った音を鳴らしていた。
俺の唇はうっすらと乾いて、体は凍り付いたように動かなくなった。


「ニコ・・・」


ゼラは何か言いた気に呟いた。
俺は怖くなって、すみませんすみませんとゼラの言葉を遮る様に謝った。


「すみませんゼラ。すぐ帰ります、」
「待ちなさい」


ゼラは俺の腕を掴んだ。
怒られる!
俺はなんてことをしたんだと酷く後悔した。


「怖がらなくていいんだ、ニコ。僕は怒っていない」


ゼラは優しくいった。普段凛々しくて冷たい瞳が、俺に優しく微笑んでいた。
俺は張っていた力をすっと抜いた。ほっとしていた。


「ニコ、僕に何をしようとしたんだい?」


ゼラは優しく問いた。


「ゼラが生きているのか疑いたくなるほど静かだったので、つい、顔を触れようとしてしまいました」


俺は正直に言った。
しかし、俺は少し自身を疑っていた。
本当に、俺はゼラの生死を確認したかっただけなのだろうか?


「……ニコ」
「はい、ゼラ」


ゼラは疑うように俺を見ていた。
俺は何故か冷や汗を掻いていた。
嘘を吐いたつもりはなかった。しかしどこか自身を疑っているからだろうか。
ゼラの瞳はそんな俺を見透かしているようだった。


「正直に言っていいんだ。ニコ、本当は僕をどうしたかったんだい?」


ゼラは再度問いた。
しかし俺は何も言えなった。
1つは、言った事が嘘じゃなかったから。
2つは、本当の事を言って、ゼラに嫌われてしまうのが嫌だったから。
俺は気付いていた。俺は俺自身の真実に気付いていて黙っていた。
相手がゼラでも、いや、ゼラだからこそ俺は何もいう事が出来なかった。


「ニコ・・・」


ゼラは俺の名を呟くと、先程ゼラを触れようとした右手をそっと掴んだ。
そしてその右手をそっとゼラ自身の唇の寸前まで持ってきた。


「触れたかったんじゃないのかい?」


ゼラは俺の手を掴んだままいった。
ゼラに掴まれた右手は小刻みに震えていた。
俺は何も言えなかった、しかしその右手が全てを伝えてしまっていた。


「触れていいんだよ、ニコ」


ゼラは優しく言った。


「これはいつも僕に尽くしてくれてるご褒美だ」


ゼラは続けていった。
しかし俺はまだ信じられなくて、震えた右手は未だに動く事が出来なかった。
そうしている内に、痺れを切らしたのか、ゼラは俺の右手をゆっくり近付け、自身の唇に触れさせた。
そうしてゼラは、そっと僕の指を舐めた。


「これでも信じられないかい?」


ゼラに舐められた指先は、薄暗いライトに照らされて光り輝いて見えた。
そうして俺は改めて、自分の意思でゼラの唇に触れた。


「本当にそれだけでいいのかい?」


ゼラは触れられている唇で言葉を放った。
はっとして見たゼラの瞳は、妖しく美しかった。


「キス、してもいいですか?」


俺は凍った体をゆっくりと解凍していった。声はか細く震えていた。勇気のいる言葉だった。


「いいよ」


俺は座ったゼラの高さにあわせてキスをした。初めてだった。
俺は少し脅えていて、ゼラの唇に触れた時間はほんの一瞬に過ぎなかった。


「ニコ、もっとだよ」


ゼラは俺を求めて声を上げた。
俺は嬉しくて、今度はしっかりキスをしなくてはと思った。

2度目のキスは、キスというキスが出来た気がする。
僕は少し嬉しかった。


「ニコ、少し口を開くんだ」


俺はゼラの言われた通り口を少し開けた。
ゼラは俺の目をじっと見ながら、唇の端を少しあげて軽く笑った後、半開きになった俺の口にそっと舌を挿し入れた。


「あ、」


俺は驚いて、間抜けな言葉を漏らした。
しかしそれもすぐ上げることが出来ないくらい、俺の口内はゼラの舌で埋めつくされた。
ゼラにされたキスは圧倒的だった。
そして俺をとても翻弄した。
湿った音が、脳に鳴り響く。俺はまたどきどきしてきた。
ゼラとこんな空間を共有していると思ったら、顔まで赤くなってきた。

暫く唇を重ねた後、ゼラはすっと顔をひいた。
俺が経験したことのないキスの後でも、相変わらずゼラは顔を変えなかった。寧ろ、少し楽しげでいた。
俺は顔を赤くしているのを見られたくなくて、左腕で口元辺りをさっと隠していた。


「ゼラ、ああ、有難う御座います。ゼラ……」


俺はゼラに何度も感謝の言葉をいった。
そしてゼラへの感謝の気持ちと深い忠誠心をあらためて心に誓った。
そしてそれとは別に、また新たな感情が生まれつつあることに気付いていた。

俺はこれ以上の失態をゼラに見せてはいけないと思い、そそくさと荷物をまとめはじめた。


「待ちなさいニコ」


ゼラはまた俺を引き止めた。
俺は怖かった。
しかし嬉しかった。
でもやはり怖かった。


「僕の体には興味はないのかい?」


俺はここで黙るべきではなかった。
俺はここですぐに返事を返すべきだった。
俺はここで、ゼラに対しては忠誠心や尊敬の念しかないことをはっきりと言うべ きだった。
しかし、もうこんなチャンスは二度と巡ってこないと、俺は卑しくもそう思っていた。


「触れていいんですか、ゼラ」


俺は持っていた荷物を全部落とすと、ゆっくりとゼラに近付いていった。

その時果たして理性はきちんと働いていたのか、問われたら俺ははっきりと答え ることは出来ないだろう。
俺はそれほどゼラしか見えていなかった。